大判例

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東京高等裁判所 平成元年(ネ)2046号 判決 1990年4月12日

控訴人(原告) 株式会社浅井ゲルマニウム研究所

被控訴人(被告) 佐藤節子 外三名

原審 東京地方昭和六〇年(ワ)第八〇四〇号(平成元年五月三一日判決、二一巻二号四三五頁参照)

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者が求めた裁判

一  控訴人

「原判決を取り消す。被控訴人らは控訴人に対し、原判決別紙目録7ないし17記載の特許出願に係る発明について、特許権設定登録がなされることを条件として、範囲全部、地域日本全国、実施料無料とする専用実施権の設定登録手続をせよ。控訴人が、原判決別紙目録18ないし26記載の外国特許権あるいは外国特許出願に係る発明について、範囲全部、地域日本全国、実施料無料とする専用実施権と同等の権利を有することを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決

二  被控訴人ら

主文同旨の判決

第二当事者の主張及び証拠関係

左記のとおり付加するほか、原判決の事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する(ただし、原判決第一七頁末行(編注、二一巻二号四四三頁五行目)の「クレーム1」を、「クレーム2」に改める。)。

一  控訴人の主張

1  米国特許の最終目的物とバイオジトン8の同一性

米国特許の最終目的物である「3―トリヒドロキシゲルミルプロピオン酸の塩類」とバイオジトン8は、あたかも砂糖と氷砂糖が性状を異にするが砂糖水にすれば全く同一であるように、医薬品として生体に投与される状態(すなわち、水溶液の状態)においては、実質的に同一の化学構造を有する物質(Ge132)であり、したがってそれらの薬効にも差異はない。

この点について、被控訴人らは、「水溶液の状態においても、バイオジトン8ならば、アルブミン等ある種の生体関連高分子化合物を含有する水溶液に溶解した場合に安定性を保持しうる点で、「3―トリヒドロキシゲルミルプロピオン酸の塩類」とは相違する」と主張するが、これまで公にされたバイオジトン8に関する特許出願明細書を含む多くの文献においては、バイオジトン8のアルブミンに対する特性は全く触れられておらず、被控訴人らの右主張は根拠がない。

したがって、たとえバイオジトン8に関する発明が「3―トリヒドロキシゲルミルプロピオン酸の塩類」と異なる化学構造式を与えられ、異なる物性が強調されることによって特許を受けているとしても、そのような特許は無効といわざるを得ない。そして、特許を無効とする手続には膨大な時間を要することを考慮すれば、本件研究委託契約あるいは本件和解契約の解釈問題としてこれと同等の法律効果を訴求する控訴人の本訴請求は、認容されるべきである。

2  本件研究委託契約の趣旨

医薬品開発のための動物試験の委託契約においては、受託者は、委託者から開発対象物質及び情報の提供を受けるので、委託契約外の第三者に比較すると、競合的な医薬品の開発について極めて有利な立場に立つ。

したがって、本件研究委託契約には、受託者である訴外会社による競合的な医薬品の開発の避止義務は明示されていないが、委託者である控訴人と受託者である訴外会社の間には、訴外会社による競合的な医薬品の開発及び得られた発明の特許出願の避止義務が黙示的に合意されており、右避止義務に違背してなされた特許出願による実質的利益(すなわち、専用実施権)は控訴人に提供されるべきであると解するのが相当である。そして、右避止義務は、本件委託契約の当事者である訴外会社のみならずその代表者であった訴外佐藤個人をも拘束しなければ実効性が失われることは明らかであるから、訴外佐藤個人も、競合的な医薬品の開発及び得られた発明の特許出願の避止義務を負うと解しなければならない。

この点について、被控訴人らは、「本件研究委託契約は医薬品開発の委託契約ではないから、受託者である訴外会社あるいは訴外佐藤個人が、競合的な医薬品の開発及び得られた発明の特許出願の避止義務を負うと解する余地はない」と主張するが、そうであるとすると、訴外佐藤が本件和解契約によって控訴人に対し米国特許等の専用実施権の設定を応諾した理由を説明し得ない。

また、被控訴人らは、「本件研究委託契約が終了した昭和四八年六月三〇日より後になされた本件特許出願等が非難されるいわれはない」と主張する。本件研究委託契約の期間が昭和四八年六月三〇日までとされていたのは事実であるが、本件研究委託契約に基づく訴外会社の動物試験がまがりなりにも終了したのは昭和五二年ころであるから、約定期間終了後も一定期間は、訴外会社あるいは訴外佐藤個人の、競合的な医薬品の開発及び得られた発明の特許出願の避止義務は存続するというべきである。

3  本件和解契約の趣旨

本件和解契約は「米国特許と同一内容のもの」のみを対象としてなされているが、本件研究委託契約の前記趣旨、並びに、本件和解契約が訴外佐藤から原判決別紙目録7及び8記載の特許出願が既になされている事実を明かにされないまま締結されたとの事情を踏まえて、本件和解契約を公正かつ合理的に解釈するならば、本件和解契約の趣旨は、「訴外佐藤は、米国特許の最終目的物である「3―トリヒドロキシゲルミルプロピオン酸の塩類」に極めて近似する物質についても、開発及び得られた発明の特許出願を避止すべきこと、右避止義務に違背してなされた特許出願に係る発明は、控訴人の独占的実施の対象となること、ただしその場合は、特許出願に要した経費は控訴人が補償すること」にあるものと解すべきである。

したがって、仮にバイオジトン8が「3―トリヒドロキシゲルミルプロピオン酸の塩類」と実質的に同一でないとしても、本件特許出願等に係る発明は、本件和解契約に沿って処理されるのが相当である。なお、前記のとおり本件研究委託契約の内容となっている、競合的な医薬品の開発及び得られた発明の特許出願の避止義務が訴外佐藤個人にも及ぶことに照らせば、たとえ本件特許出願等に係る発明が訴外佐藤と第三者の共同発明であっても、特許出願が訴外佐藤個人によってなされている以上、本件和解契約に沿ってそれらの専用実施権は控訴人に提供されるべきである(現に、米国特許等に係る発明も、訴外佐藤と第三者の共同発明であったが、訴外佐藤個人によって特許出願され、本件和解契約により訴外佐藤のみによって専用実施権が設定されたのである。)。

この点について、被控訴人らは、「本件和解契約は第三条において有機ゲルマニウム化合物に関する研究の自由が合意されているのであるから、訴外佐藤が有機ゲルマニウムの新規物質を発明しその特許出願をすることを妨げられる理由はない」と主張するが、単なる研究と、開発及び得られた発明の特許出願(開発は事業であり、特許出願は発明を産業上利用することを前提とする。)を同日に論ずることは失当である。

二  被控訴人らの主張

1  米国特許の最終目的物とバイオジトン8の同異

米国特許の最終目的物である「3―トリヒドロキシゲルミルプロピオン酸の塩類」とバイオジトン8は、化学構造を異にし薬効も顕著に相違する別個の物質である。水溶液の状態においても、バイオジトン8ならば、アルブミン等ある種の生体関連高分子化合物を含有する水溶液に溶解した場合に安定性を保持し得る点で、「3―トリヒドロキシゲルミルプロピオン酸の塩類」とは相違する。

2  本件研究委託契約の趣旨

本件研究委託契約は動物試験の委託契約であって、医薬品開発の委託契約ではないから、受託者である訴外会社あるいは訴外佐藤個人が、競合的な医薬品の開発及び得られた発明の特許出願の避止義務を負うと解する余地はない。のみならず、Ge132に関する発明の特許出願は昭和四六年一月二五日に公開されているのであるから、その後(まして、本件研究委託契約が終了した昭和四八年六月三〇日よりも後)になされた本件特許出願等が、非難されるいわれはない。

3  本件和解契約の趣旨

本件和解契約は第三条において「有機ゲルマニウム化合物に関する研究の自由を相互に妨げない」ことが合意されているのであるから、訴外佐藤が有機ゲルマニウムの新規物質を発明しその特許出願をすることを妨げられる理由はない(単なる研究の自由ならば、憲法上当然のことであって、契約において合意するまでもない。)。

のみならず、本件特許出願等に係る発明は、訴外佐藤の単独発明ではなく、同人と第三者の共同発明であるから、訴外佐藤のみが契約当事者となっている本件和解契約の効力が、これらに及ぶいわれはない。

三  証拠関係<省略>

理由

一  当裁判所も原審と同じく、控訴人の本訴請求はいずれも失当であって棄却すべきものと判断する。その理由は、左記のとおり付加するほか、原判決の理由説示のとおりであるから、これをここに引用する。

1  米国特許の最終目的物とバイオジトン8の同異

控訴人は、「米国特許の最終目的物とバイオジトン8は実質的に同一の物質である」と主張する。

しかしながら、化合物の同異は、化学構造式、物理的あるいは化学的性質、さらには製造方法の同異によって決定されるのが相当であるところ、米国特許の最終目的物である「3―トリヒドロキシゲルミルプロピオン酸の塩類」とバイオジトン8が化学構造式において区別し得ることは、原判決第一〇頁ないし第一一頁(同上、四三九頁)に記載されている構造式(1)と、第五〇頁(同上、四五八頁前者の構造式)に記載されている構造式を対比すれば明らかである。のみならず、成立に争いない乙第一四号証(昭和五六年審判第一七六四二号事件における特許異議の決定謄本)によれば、「3―トリヒドロキシゲルミルプロピオン酸の塩類」とバイオジトン8は、物質の同定に用いられる赤外線吸収スペクトルにおいて明確に相違しており、さらに、米国特許のクレーム2に記載されている製造方法とバイオジトン8の製造方法は、加水分解の条件において明らかに相違することが認められる(弁論の全趣旨によって成立の真正を認め得る乙第七号証(池上四郎作成の「報告書2」)第一二頁参照)。

それゆえ、「3―トリヒドロキシゲルミルプロピオン酸の塩類」とバイオジトン8は、たとえ医薬品として投与される状態においては実質的に同一の化学構造を示すとしても、別個の化合物と認定するのが相当である。右認定は、控訴人が当審において提出援用する甲号各証によって左右されるものではない。

したがって、本件特許出願等に係る発明が本件和解契約にいう「米国特許と同一内容のもの」であることを前提とする控訴人の主張は、採用できない。

2  本件研究委託契約の趣旨

控訴人は、「本件研究委託契約においては、訴外会社による競合的な医薬品の開発及び得られた発明の特許出願の避止義務が黙示的に合意されており、訴外会社の代表者であった訴外佐藤個人も同様の避止義務を負うと解しなければならない」と主張する。

しかしながら、成立に争いない甲第三号証(委託研究契約書)によれば、本件研究委託契約によって訴外会社に委託された事項は、特定の有機ゲルマニウムのラットに対する薬理作用を明らかにすることであったと認められるから、契約当事者間において、競合的な医薬品の開発及び得られた発明の特許出願の避止義務が黙示的にもせよ合意されたと推認することはできず、まして、訴外会社の代表者であった訴外佐藤個人がそのような避止義務を負うと解することは到底できない。

3  本件和解契約の趣旨

控訴人は、「仮にバイオジトン8が「3―トリヒドロキシゲルミルプロピオン酸の塩類」と同一でないとしても、本件和解契約を公正かつ合理的に解釈するならば、本件特許出願等に係る発明は、本件和解契約に沿って処理されるのが相当である」と主張する。

しかしながら、本件研究委託契約によって訴外会社ないしその代表者であった訴外佐藤個人が競合的な医薬品の開発及び得られた発明の特許出願の避止義務を負うと解する余地がないことは前記のとおりであるし、本件和解契約が訴外佐藤から原判決別紙目録7及び8記載の特許出願が既になされている事実を明らかにされないまま締結されたとしても、「3―トリヒドロキシゲルミルプロピオン酸の塩類」とバイオジトン8は別個の化合物と認定すべきものである以上、本件和解契約にいう「米国特許と同一内容のもの」を、控訴人が主張するように拡張して解しなければならない理由はない。

二  よって、控訴人の請求をいずれも棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三八四条第一項、第九五条本文、第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤井俊彦 春日民雄 岩田嘉彦)

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